My Story
「このまま飛び込めたら、どんなに楽だろう」
2017年9月。31歳の秋。
私は、駅のベンチに座って無気力に電車を眺めていた。

私は、社会復帰を目指す人をサポートする相談支援員・講師という仕事をしていた。
やりがいもあった。喜びもあった。
それと同時に、精神的にも肉体的にも、限界が近いことも感じていた。
以前の職場でも多くの業務を1人で抱え込み、体調を崩して退職していた……。
しかしそれは、
「当時の会社がブラック企業だったから仕方がない」
そう思っていた。
けれど、また同じように心が折れそうになっていた。
「好きなことをやっているはずなのに、なんでこんなに辛いんだ……。もう、いっそのこと楽になりたい」
ベンチから立ち上がってゆっくりとホームに向かっていった。
このまま前に倒れてしまえば、どんなに楽だろう。
・
・
・
そんなことを考えながらフラフラしていると激しい雨が降り出した。
ホームに吹き込んでくる雨に目を奪われていると電車が到着し、目の前のドアが開いた。
しかたなく、
人生を辞めるのは延期することにした。

今振り返る私の人生
これは、危うく人生を諦めそうになったときの出来事でした。当時はなぜ同じことを繰り返してしまうのか、まったくわかっていませんでした。
けれど後になって、
私の中には無意識のまま自分を追い込み続けるパターンがあると気づきました。
それは、主に幼少期の経験から作られていたものです。
ここからは、私がどんな思い込みやパターンを作り、どう向き合ってきたのかを書いていきたいと思います。
はじまり
神奈川県横浜市。野毛山動物園の近くで生まれた私はバンドマンの父とスナックのホステスである母との間に生まれました。

私が1歳になるころ両親は離婚し、一家離散。
私は、親戚の家に預けられ、21歳までその家で暮らすことになりました。
養子になっておらず、両親がいることも知っていました。
というのも父は養育費を払いに定期的に家に来ていましたし、母とは数年に1回会うこともあったからです。
そのため、「この家の子ではない私」「周りの友達とは違う」ということを、とても小さい頃から認識していました。
他者のために生きるという学び
小学校1年生で「死にたい」と口にしていたことを覚えています。
担任教員に目をつけられたのか
- 1〜4年生まで学級委員長が義務となる
- グループ活動でも全てリーダーに指名
- 遅刻する生徒を遠回りして迎えに行き、間に合うよう一緒に登校しなくてはいけない
こういったルールに縛られ、何かを間違えるとみんなの前で殴られるという日々を送っていました。
あまりにも先生が恐ろしかったため、ここで私は
- 間違ってはいけない
- 察しなくてはならない
- 優秀でいなくてはならない
- 我慢しなくてはならない
- 誰かのお世話をしなくてはならない
そうしないと、殴られる。
そう思っていたので、子供ながら必死で毎日を生き延びるような感覚で生きていました。

父との二人暮らし
小学校4年生の頃、祖母が亡くなったのをきっかけに、実父との2人暮らしがはじまりました。
ここでは、料理や洗濯といった家事が私の仕事となり、できなければ怒鳴られるようになりました。(「俺は働いてるんだから、家事はお前の仕事」とのこと)
そして実母にも会う機会が増えていきました。父は「母と復縁したいがために私を引き取った」というような話も耳にしました。なるほど、「私は母を釣るための道具だった」のかと。そうして
- 私は父の道具
という認識をするようになりました。
それからは
- 学校には遅刻するようになる
- 腹痛などの体調不良で学校を休みがちになる
- 夜ご飯は作って、父が帰るころには寝たふりをする
- リストカットをする
そんな毎日を過ごしていましたが、誰にも相談することもできず、やり場のない思いを自分の腕にぶつけていたように思います。

居ていい場所
ある日、13歳年上の従姉が、私の腕が傷だらけなことに気がついてしまいました。
このことをきっかけに、両親と伯父さん家族が集まって、これから『私が何処に住むべきか』という会議が行われたんです。
会議の中で感じたのは、誰も私を引き取りたくなさそうだ、ということでした。そうして私は「やっぱり、いらない子」というアイデンティティを強固にしていったのです。
しかし、私はこのまま父と2人で暮らしていく自信がありませんでした。
二度目の引越し
私は人生の中でどうしても忘れられない出来事が2つあります。
両方とも伯母さんとのやりとりでした。
日曜日、伯父さんの家を訪れ、洗濯物を畳んでいる伯母さんの前に立ち、泣くのを必死に我慢しながら「またこの家に住まわせてくれませんか」とお願いをしたんです。そうしたら伯母さんは「いいよ」と言って抱きしめてくれました。私は申し訳ない気持ちと、ほっとした気持ちと複雑な気持ちでいっぱいになって、しばらく大声を出して泣き続けていました。
今でもこのシーンを思い出すと涙目になってしまいます。(嬉しくて)
そうして、3年半ぶりに伯父さんの家で過ごすようになったのですが、やはりいろんなことがあり……
- 私には居場所がない
- 本当の家族にはなれない
という思いが強くなっていきました。

伯母の病と、その理由
高校3年生となった私は、友人たちが「進路をどうするか」と話をしているのを羨ましく眺めていました。高校入学後から、父が養育費を入れておらず、学費も全部伯父さんたちが出してくれている状態でした。
これ以上、迷惑がかけられないと考え、誰にも相談できず進学を諦めていました。
そしてこの辺りから、伯母さんが重度の双極症となり、幻覚を見て徘徊するようになってしまったんです。入院レベルであったものの、通院していた病院のベッドが空くまでしばらく家で看病(というか見張り)をすることになりました。
伯母さんは幻覚によって、全てが毒に見えるようで、ご飯を食べなくなりどんどん痩せていきました。
伯母さんが家から脱走したときには、必死で追いかけたり、伯母さんが生まれてから今に至るまであった辛かったこと、悲しかったことをたくさん話してくれたときには、朝まで耳を傾けました。
こうして一緒に過ごしてみると伯母さんも辛い家庭環境で育ち、自分を犠牲にして生きていたことを知りました。このとき非常に腹が立ったことを覚えています。
なんで誰も助けてくれなかったんだろう。
なんで誰も気づいてあげられなかったんだろう。
なんで私も気づかなかったんだろう!!!
と。
そんな日々を数ヶ月過ごした後、無事入院をすることができました。
この出来事もあって、人は育ってきた環境や、背負うべきものができたとき、それを一生抱えて生きることによって、心の病になってしまうのだな、と思ったのを覚えています。
家族になる
ある日一人でお見舞いに行くと、私を見た看護師さんが
「あら!お子さん?お見舞いきてくれてよかったですね〜」
と伯母さんに話かけていました。
それを聞いた私は
(”お子さん”じゃないんだけどな…。どうせまた、「夫の弟の子なんです」って説明が始まるんだ)と思っていました。
しかし伯母さんは
「そうなのよ〜。私の話を聞いてくれるのはこの子だけなの」
とニコニコしながら私の頭を撫でてくれたんです。
その瞬間、体の内側から、お湯がぐんぐん湧き出て、溢れ出るような感覚に陥りました。
あたたかくて
あたたかくて
仕方がなかった。
「お子さんですか?」
という問いに対して、否定しなかったのは初めてのことでした。
伯母さんの子供になったみたいで、とても嬉しかったんです。
さらに、看病していた期間、伯母さんはずっと幻覚を見ていたので、私が側にいたことや話を聞いていたことは覚えていないと思っていました。
けれども実際は覚えていてくれたし、それを喜んでいたんだと知って、20歳の私の体は喜びでいっぱいになっていました。
この出来事があってから、将来、人の気持ちや心に寄り添う仕事ができたらいいなと、ぼんやり思うようになったんです。この出来事が、今の仕事をするきっかけとなったのです。

結婚、そして繰り返す痛み
伯母さんの体調も安定した頃、私は結婚をしました。素晴らしい方と結婚をしました。
人生史上、一番の平和を経験しました。
それなのに、「私は愛されていない」という気持ちでいっぱいになり、たくさん泣いて夫を困らせていたんです。
「これはおかしい」「きっと、私がおかしいんだ」
そう思った私は、様々な本を漁った結果、心理学を学ぶようになりました。
そして、
人は誰でも小さい頃に自分のキャラクターを設定する、とうことを知りました。
例えば
「私には居場所がない、というキャラクター」
「誰にも愛されない、というキャラクター」
「本当の家族はいない、というキャラクター」
という具合に。
大人になってもこれらのキャラクター設定を続けていたため、夫に愛されているのにも関わらず
話を聞いてくれなかった
心配してくれなかった
そういった、ささいなこと1つ1つに
「自分は愛されていないから」と結びつけていたんです。
「私は愛されていないから、話を聞いてもらえない」
「私は愛されていないから、心配してもらえない」
「私は本当の家族は得られないのだから、どうせ離婚する」
こういったことを証明するために、無理矢理現象と結びつけるのです。
そういった心の仕組みがあると知った私は、多くのことが自分の勘違いだと気づき、今までの態度について夫に謝りました。
「私のこと大切にしてくれてたのに被害妄想で勝手に落ち込んでた。本当にごめんね」
そういうと
「人が違うみたいだ……」
と夫は目を丸くしながらも、私の謝罪を受け入れてくれたんです。

バーンアウト1
いくつかの仕事を経験した後、WEBメディアに入社。その後、編集長兼マネージャーとなり、楽しく仕事をしていました。
しかし、締切の多さ、数字のノルマ、そういったものに毎日プレッシャーを感じていました。
バズるネタにしなくてはいけない……。
クオリティの高いものを出さなくてはいけない……。
ライターたちに苦労をさせてはいけない……。
記事が足りなければ自分で記事を書き、移動中も休みの日もずっと仕事をしていました。わかりあえたはずの夫とも喧嘩が増え、こんなに仕事頑張っているのに、なんで夫は怒っているのだろう?と思っていたんです。本当は私の体調の心配をして声をかけてくれていたのに、頑張っている私のことを認めてくれていないと感じて、まったく理解ができなかったんです。
そして、ある時から心臓に針が刺さるような痛みを感じるようになり、その数ヶ月後には、涙でぼやけてmacの画面を見ることができない。日曜日はベッドから体を起こすことができない。
こうして体も心も限界を迎え、退職してしまいました。
このとき、体調を崩したのは締切やノルマが多い仕事が向いていなかったからだと理解した私は「本当にやりたかったことをやろう」と、心の奥にずっと抱いていた「人の気持ち、心に寄り添う仕事ができたらいいな」という夢を叶えることにしました。

しかし、残念ながら、本当の理由に気づいていなかったため、またもバーンアウトすることになります。
バーンアウト2
次の仕事に選んだのは、メンタルダウンをした方が社会復帰を目指して通う施設での相談支援員、講師でした。
ずっとやりたかった対人支援。転職してからというもの、毎日が充実していました。
やりがいがあり、サポートすること、応援すること。
そして、そんな利用者さんが変化していく様子を見ることがとても嬉しかったんです。
そんな素晴らしい仕事に就いたのに、またも異変が起きていました。
前職と変わらず、休みの日も働き、業務も多岐に渡り多くの仕事を抱えるようになっていました。いつも必死だったため、上司から評価されると「次こそ期待に応えられないかもしれない、これ以上頑張れない」と不安でいっぱいになっていました。
すでにキャパオーバー。家でも仕事をして数ヶ月休みなし。そんな中、社長から新たなプロジェクトの打診をいただいてしまったのです。
その時「どうやって、いつやるんだろう。どれだけ眠らなければ良いんだろう」と考えていました。
相談する、断るという選択肢をまだ持っていなかったのです。
結局担当することになり、絶望の中駅に向かいます。
これが冒頭に書いた、ホームに飛び込みたくなった日の話しです。
「楽になりたい…」
それしか頭にありませんでした。
そんな働き方をしていたので、私の業務量は先輩の5倍になっていました。けれど上司からは、「この数値は上に報告できない」と言われてしまったのです。
「他のスタッフの評価が下がるから」と。
いくら頑張っても、やったことにならない。そのため、給与は先輩の方が上でした。
そしてある日、会社に着くと、私は限界を迎えたのか、恐怖で涙と震えが止まらなくなってしまったのです。その日はどうやって帰ったのか覚えていません。
その後休職、最終的には退職をし、またも数ヶ月無職となってしまいました。

自分に向き合うために様々な学びと出会う
「もう、二度と同じような経験をしたくない」そう思った私は、自分を理解するためにあらゆる方法を試しました。心理学、西洋占星術、四柱推命、タロット、フラワーエッセンス。
方法は違っても、どれも同じことを教えてくれました。
私を苦しめていたのは、幼少期から育ててきた「思い込み」が原因だったんです。

私を動かす思い込み
- 誰かの機嫌を損ねないためには言われる前に動かなくてはならない。
- 「断る」という選択肢を持ってはいけない。
- 体調不良でも、休んだら評価が下がる。
- 私は頑張らないと嫌われる、役立たずと思われる。
- できないのはすべて自分の能力不足。できないなら寝なければいい。
こういった思い込みの元になったのは、私が子供のときに身につけてきたルールでした。
- 間違ってはいけない
- 察しなくてはならない
- 優秀でいなくてはならない
- 我慢しなくてはならない
- 誰かのお世話をしなくてはならない
そうしないと殴られる。
それを大人になっても、背負い続けていたんです。
殴る先生もいません。怒鳴る大人もいません。
それなのに、いつも何かに怯えて行動し続けていたんです。

今の私は、以前持っていた『生き残るための戦略』を手放して生きています。
真面目で優秀というキャラを演じていた私ですが、今では、好きな時に好きなことをし、相談したり、断ったりすることも当たり前になり、ずいぶんと自分勝手に楽しく生きるようになりました。
昔の辛いシーンを思い出してみても、捉え方が変わっていることに驚きます。当時は、嫌だ、気持ち悪い、怖い、辛いと思っていた出来事がしっかりと昇華され「あのときは頑張ってたよね、私」という穏やかな気持ちで眺められるようになっています。
私はこれまで、何度も限界を迎え、何度も立ち止まりました。
しかし、その過程で、人がどこで苦しみ、どこで変わるのかを自分の体を通して学ぶことができました。
だから今、同じように苦しんでいる方が“自分らしく生きられるように”と、サポートする仕事をしています。

最後に
ここまで何回も精神的にも肉体的にもボロボロになって、たくさん迷惑をかけたけれど、ずっと支えてきてくれた夫、ありがとう。私を信じて本音を話してくれるクライアントさん。ほんとうにありがとう。
そして、私。ここまで頑張ってきてくれてありがとう。
日々、そんな気持ちで今は生きています。
これを読んでくださった方が、「生き方を変えたい」「もっと自分らしい人生を歩みたい」「過去を癒して、前に進みたい」という気持ちを持っているのであれば、ぜひ一度セッションにきていただけたらと思っています。
実際にセッションを受けてくださった方々の感想はこちらにまとめてありますので、ぜひ参考になさってください。

ということで、長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

